私自身の自律神経失調症の闘病記「自律神経失調症の治し方」の第8回。
一進一退を繰り返しながら、自律神経に効果があると言われたホットヨガをやって再び悪化。
絶望的な気持ちの中、主治医の指示の下での療養生活で、少しずつ体調に変化が表れ始めました。
今回は寛解の転機になった出逢いについて書きます。
今までの経緯は宜しければこちらをご覧下さい。
「自律神経失調症の治し方」③~⑦のリンクは下部に貼り付けます。
再びヨガにチャレンジ
スケジュールを白紙にしてから半年、秋になると体調は安定し、
その頃はめまいを感じることもなくなってきました。
そこで少しずつ社会生活に慣れるため、まずは近場から電車に乗って外出をする訓練をしました。
いわゆるリハビリです。
そして主治医の許可もおりたこともあり、電車で数駅離れたフィットネスクラブに通い始めました。
但し、以前やっていたような激しいスタジオレッスンは短いものを週1回程度。
あまり神経を興奮させないよう(交感神経を刺激し過ぎない)、
ウォーキングやヨガなど激しくないレッスンをメインでとの指示でした。
激しいスタジオレッスンを好んでいた私には物足りなく感じましたが、
それでも再びフィットネスクラブに通えるようになったことが嬉しく、
休館日以外は毎日のように通っていました。
身体を動かすことは性に合っていて、再び身体を動かせる喜びを感じていました。
フィットネスクラブでもヨガは大人気です。
当時、第3次ヨガブームの波が私が通っているフィットネスクラブにもやってきていました。
日中、夜と一日を通して様々な種類のヨガのレッスンが提供されていました。
私が通っていた日中は、高齢者も多いことからリラックス系のヨガのレッスンが目立ちました。
その中で、変わった名前のヨガがあり、私はそれに興味を持ちました。
調べると、そのフィットネスクラブが独自に開発したヨガのプログラムで、パワーヨガに分類されています。
これだったら私も楽しめそう(ハード、ストイックなものを好む傾向があります)
と、そのレッスンに参加しました。
そのヨガは思っている以上にハード。
翌日から暫くは全身が筋肉痛でした。
私が大好きなダンスや格闘技系のレッスンみたいに息が上がるほど激しくはないけど、
しっかり身体を使うそのヨガが気に入り、週2日ほど、そのヨガのレッスンに参加しました。
そのヨガはとにかくハードでした。
アーサナ(ポーズ)の難易度もですが、1つ1つのアーサナを保持する時間が長く、脚は同じ体制のまま5分とか。
上半身をひねったり、手の位置が変わったり、どんどん脚に負荷がかかります。
腿がプルップルしはじめ、最後にはガクガクするほど。
それを休むことなく続けるのです。
当時、1つのレッスン(60分)で30種類ほどのアーサナが入っていたそうです(最近は少なくなっているようです)。
はじめはついていくのがやっとでした。
慣れてくると、先生のアーサナの真似をする余裕が出てきました。
元々、ヨガに興味があった私は、ヨガをすることが楽しくて、
そのヨガにはまり、自宅でも練習するようになっていました。
ヨガの師匠との出逢い
残念ながら体調を悪化させて断念したホットヨガでしたが、私はあの特徴的なヨガが気に入っていました。
そのヨガは一連の流れが決まっていて、どのレッスンでも同じ内容のはずですが、
インストラクターによって全然違うものになると感じました。
自律神経失調症になる前に、フィットネスクラブでヨガのレッスンに参加したことがありましたが、
正直、全く楽しくなく、60分のレッスンに出てしまったことを後悔したことがあります。
ヨガはインストラクターによって、レッスンの質が大きく左右される
今までの経験から、私にはそのような印象がありました。
秋から私が参加しはじめたヨガのインストラクターは、
私よりも少し年上と思われるベテランっぽいインストラクターでした。
レッスンは
どう表現したら良いのでしょう。。。
とにかく激しい(笑)
落ち着いたトーンでウォーミングアップから始まるのに、
いつの間にか先生の熱がサクレツしていて、自分の周りには汗の池が出来ているほど、汗だくになっています。
※常温のヨガです
はじめはとにかくついていくのに必死でしたが、
徐々に今までできなかったアーサナ(ポーズ)が出来た時の達成感が楽しくなりはじめ、自宅で練習するに至りました。
そんなあるレッスン中に
「完成型を求めないで、過程を大切にして」
と先生の声が響きました。
「1つ1つの過程を丁寧に、端折ったりしない。人と比べない。自分のヨガをして。
1つ1つの過程、全てがヨガよ」
その言葉がずーんと心に響きました。
帰り道、自分を振り返ると、私はアーサナの完成型を美しくやることにばかり意識が行っていたけど、
そこに至るまでの1つ1つの過程を大切に行ってきただろうか。
意識したことさえなかったかも。
それから、先生の投げかける言葉にもより意識を傾けるようになりました。
あるレッスンで難易度が高いアーサナで、参加者全員が四苦八苦していた時のことです。
参加者は到底できそうにないそのアーサナに半分、引きながらも、
強引に進めようとする先生に仕方なくついていっているような雰囲気でした。
やってみて、誰もできなければ先生も諦めてくれるだろう
と言う空気が漂い、私もとりあえずと思っていました。
先生はいつもよりも更に1つ1つの過程を丁寧に説明し、
参加者にアジャスト(修正)をしながらスタジオを回っていました。
先生から発せられるただならぬ空気に真剣にならざるを得ず、1つ1つの過程をやっていたら
できちゃった(笑)
全員が出来たわけではないけど、参加者の数名はできていました。
その瞬間、スタジオがどよめきました。
その時、先生が
「一見、難解そうで、到底できないと思うことでも、1つ1つ順を追って丁寧にやれば到達できるのよ」
と。
その時、
ヨガは人生だ
と感じました。
生き方そのもの
ヨガを通して、
私たちは生き方、考え方を学ぶ、磨く
ヨガとはそういうもの
その時、自分の今までの生き方、働き方が走馬灯のように頭の中を駆け巡りました。
私は仕事で結果(成果)だけを追い求めて走り続けた。
その過程にあるもの(自分の身体、心)には一切、目を向けず、結果を追い求めてきた。
だから完成したアーサナ(結果)があっけなく崩れた(自律神経失調症)
ストンと、自分自身がどうして病気になったのか、はじめて腑に落ちたのです。
1つ1つの過程を順を追って、丁寧に。
は今でも私の座右の銘の一つです。
その日、レッスン後、先生に
ヨガって人生そのものなんですね
と私が感じたことを伝えると、本当に嬉しそうな表情をしていました。
その時から、この先生についていこう
と、私のヨガの師匠になりました。
良い師との出逢いは人生を豊かにしてくれます。
そしてそれは思わぬところであります。
私はフィットネスクラブでした。
後から師匠から聞いたのですが、師匠は日本でトップクラスのヨガの師に師事してヨガを鍛錬してきたそうです。
そんな先生が、何故、郊外のフィットネスクラブで・・・?
と疑問に思って聞いたら
「家から近いから」
と飾らない師匠らしいシンプルな回答。
私は本当にラッキーでした。
次回は寛解までについて書きます。
宜しかったらご覧ください。