「つかれたら休みなさい」が苦しいとき
「つかれたら、休みなさい」
やさしいはずの言葉なのに、素直に受け取れない日があります。
休もうとしても、なぜか余計に疲れてしまう。
――それは、あなたのせいじゃありません。
なぜなら本当に疲れているときこそ、自分が疲れていることに気づけないから。
寝ても、休日にゴロゴロしていても疲れが取れるどころか、余計に疲れてしまう。
休んでいるはずなのに、なぜか疲れが抜けない。
ソファに座っているのに、頭の中では明日の会議のシミュレーションが始まってしまう。
休日なのにメールの通知音が鳴ると、胸がざわついて落ち着かない。
「休む」つもりが、いつの間にか「休まなきゃ」というプレッシャーに変わってしまう。
そんな人は、きっと私だけじゃないと思います。
誰かと同じように休めない苦しさ
私は昔から「休み下手」でした。
休日に出かけても、駅の人混みだけでエネルギーがごっそり削れる。
誰かと楽しい時間を過ごしても、家に帰るとどっと疲れが押し寄せる。
世間で推奨されているような“理想の休日”は、私にとっては余計に疲れさせるだけでした。
私たちは休日は休まなければならないという義務にしばられています。
「何もしないまま」一日が終わると、罪悪感が出てくる。
休日を無駄にしたくないという焦り、人と同じように休めないことへの劣等感。
こうした気持ちが、私たちをさらに追い詰めていくのです。
SNSを開けば、友人たちの“充実した休日”が流れてきます。
旅行の写真、趣味に打ち込む姿、家族とのにぎやかな時間。
比べるつもりはなくても、スクロールするうちに「私の休日は何をしてるんだろう」と、焦りや劣等感がじわりと押し寄せてくる。
ちゃんと休むためには勇気が要るかもしれない
私たちは「働き方改革」という言葉をよく耳にするようになったけれど、「休み方改革」はまだまだ未知数です。
成果や責任に追われる日々のなかで、“休む勇気”を持つことのほうが、よほど難しいのだと思います。
猫・アトムから学んだこと
そんな私に、ひとつの気づきをくれた存在がいます。うちの猫・アトムです。
彼は猫のくせにグルーミングが下手で、すぐに毛玉をつくっては、情けない顔で私に助けを求めてきます。
猫にとって、グルーミングは本能的な行動のはずなのに、なぜかアトムはうまくできないのです。
アトム以外の猫たちは難なくグルーミングをしています。
だからアトムの毛玉を見つけるまでは、グルーミングが下手な猫がいるなんて思ってもいなかった。
だけど、グルーミングが上手な猫と下手な猫がいる。
それと同じように人も休むのが上手な人と下手な人がいる。
私は間違いなく後者。
そう認めたら、少し楽になりました。
「ちゃんと休む」をやめてみた
「休むこと」=“がんばること”になっていませんか?
かつての私は、「ちゃんと休まなきゃ」と休むことを頑張っていました。
「話題のスポットに出かける」「何もしない休日を過ごす」など、いろんな休み方を試しては、思うように休めず、余計に疲れたばかりか罪悪感を感じるようになっていました。
世の中には難なく休みを楽しんでいる人がいる。
なのに、私はなんでできないんだろう。
いつの間にか私は自分を責めるようになっていました。
何をしても上手く休めない——
それならと、「休むこと」自体を一度やめてみたんです。
最初は、正直に言うと不安でした。
「休むのをやめたら、もっと疲れてしまうんじゃないか」「何もしていない自分を、怠け者だと責めてしまうんじゃないか」そんな恐れがあったのです。
けれど実際には、休もうと“頑張る”ことをやめたら、少しずつ肩の力が抜けていきました。
「休まなきゃ」という義務感から解放されただけで、心はずっと軽くなったのです。
――ちゃんと休もうとするのを、やめる。
――休めない自分を責めるのも、やめる。
――人と比べるのも、やめる。
そうやって、少しずつ手放していくうちに、心がほぐれていくような気がしました。
「うまく休めなくても、まあいいか」そのくらいのゆるさが、私には必要だったんだと思います。
ちゃんと休むことよりも。
自分だけの休み方を見つけよう
世の中には、“休むのがうまい人”と“そうじゃない人”がいます。
そして私は、たぶん一生「休み下手」なままかもしれない。
それでもいいと思えたのは、アトムのおかげかもしれません。
16歳になったアトムは相変わらずグルーミングが下手です。
彼は毛玉ができたお尻を私に見せることで、私がブラッシングするのを覚え、自分なりのグルーミングを見つけました。
ふつうの猫のグルーミングではないけれど、アトム流のグルーミングなのです。
そんな風に“私流”の休み方があってもいいと思うんです。
旅行に行かなくても、何もしない時間に罪悪感を覚えても、少しだけ楽になる瞬間があれば、それで十分なのかもしれません。
私の場合、特別なことは必要ありません。
短い時間でも、自分が「心地よい」と感じる瞬間を持つこと。
そうすると心がほぐれる。それが私にとっては休むことなのです。
小さな休み方のヒント
たとえば——
・お気に入りのマグカップでコーヒーを丁寧に淹れること
・好きな音楽を1曲だけじっくり聴くこと
・外に出て、数分だけ空を見上げること
・ノートに3行だけ、その日の気持ちを書いてみること
ほんの小さなことでも、続けていると心の奥に静かな余白が生まれます。
「これでいい」と思えたとき、休めない自分を責める気持ちは、自然と手放されていきました。
なにより”ちゃんと休まなくていい”と自分に許可をすることこそが、一番大切なことだと思うのです。
それが自分にとって心地よいのであれば、ときには世間の定義から外れてみる。
そんな休み方もあっていい。
おわりに:不器用なままでいい
あなたは休み上手ですか?
もし、私と同じように休み下手だったら、一度休むことを手放してもいいかもしれません。
誰かの理想に合わせなくてもいい。
完璧な休息じゃなくていい。
仕事が頭から離れなくてもいい。
うまく休めない日があっても、自分を責める必要なんてない。
「休むこと」は、日々の中で自分の心地よいを見つけていくことだと思います。
一杯のコーヒーを味わいながら飲むそれだって十分な休養です。
あなたにも、あなたなりの休み方があります。
日々の中で心地よいと感じるものに目を向けてみてください。
アトムが毛玉を作っても、彼なりのグルーミングを見つけたように。
私たちも、不器用なままでいいんです。
少しずつ、自分の「心地よさ」を見つけていきましょう。
それがきっと、あなたにとっての“休む”ということだから。
アトムが毛玉を作っても、彼なりのグルーミングを見つけたように。
私たちも、不器用なままでいいんです。
少しずつ、自分の「心地よさ」を見つけていきましょう。
それがきっと、あなたにとっての“休む”ということだから。
——浅見美菜子