嫌いな人に毎日ストレスを感じて、心が疲れていませんか?
視界に入るだけで心がざわついたり、たった一言で一日が台無しになったり。
- 朝、会社に行く足が重くなる
- メールのCCに名前を見ただけで気分が沈む
- 週末の楽しい余韻が、ひとつの通知で吹き飛ぶ
無理に好きにならなくてもいい。
けれど、そのストレスに振り回され続けると、心はじわじわと疲れてしまいます。
そんなときに助けになるのが「マインドフルネス瞑想」や「慈悲の瞑想」と呼ばれる練習です。
静かに、でも確かに、自分の心を守るための方法です。
「嫌いな人の幸せを祈る」なんて冗談じゃない
「私の嫌いな人が、幸せでありますように。」
初めてこのフレーズを聞いたとき、私は心の中で叫びました。
……は?
なんでわざわざそんなこと祈らなきゃいけないの?
むしろ逆に……(以下自粛)
もちろん、冗談です。
でも、ほんとうに、それくらいの拒絶反応がありました。
これは「慈悲の瞑想」という仏教由来のマインドフルネスの一つ。
瞑想講師の養成講座で、実習として取り組むことになったのです。
最初は「私が幸せでありますように」「親しい人が幸せでありますように」までは何とか唱えられました。
でも「嫌いな人」のフレーズになった瞬間、心のシャッターがガラガラガラッと音を立てて閉まる。
魂レベルで無理。口にしたくもない。
——そんな自分に、「瞑想指導者として失格かも」と落ち込みました。
けれど、周りの仲間たちも同じでした。
「顔が鮮明に浮かんで集中できなかった」
「あのフレーズだけはどうしても言えない」
「涙が出そうになった」
私だけじゃなかった。
やっぱり誰だって、嫌いな人の幸せを祈れないよね。
自分だけじゃなかったと知ったことで、気持ちが楽になりました。
怒りや嫌悪の感情は自分も削っていく
誰かを嫌う気持ちは、自然なものです。
けれどその感情を握りしめ続けると、結局一番削られていくのは、自分の心です。
怒りや苛立ちは、熱を持った鉄球のように心の中を転がり続ける。
「なんで私ばっかり」「またあの態度か」
思い出すたびに、鉄球はさらに熱を帯び、あなたの心を内側から焼いていきます。
やがて、ふと気づくんです。
「私ってこんなに心が狭いの?」
「こんな自分、嫌だな…」
相手だけでなく、自分のことまで嫌いになってしまう。
そのループを断ち切るために、私は思うようになりました。
慈悲の瞑想は「相手のため」ではなく、「自分を守るため」にある。
慈悲の瞑想は「許す」ためじゃなく「距離をとる」ため
慈悲の瞑想は、嫌いな人を好きになるためでも、許すためでもありません。
たとえば:
- 感情でパンパンに膨らんだ風船を少ししぼませる
- 絡まった糸をそっとほどいて、机の上に置いてみる
ぐっと握りしめていた感情を、少しだけ手放す練習。
そのとき初めて、心の中に空気が通りはじめるのです。
「言葉」と「感情」を切り離す練習
最初は絶対に無理だったあのフレーズ。
ある日ふと、意味を込めずに、ただ“音”として出してみました。
「私の嫌いな人が、幸せでありますように。」
意味はない。ただの音。
でもその瞬間、心が少しだけ軽くなったのです。
私たちは無意識に、言葉と感情を結びつけています。
「梅干し」と聞くだけで唾液が出るように、名前や声、メールの通知音ひとつで、心がざわついてしまう。
でも、そのたびに心がかき乱されていたら、あまりにも自分がかわいそう。
言葉と感情を切り離す——
それは、慈悲の瞑想の本質であり、心のざわめきと穏やかに向き合うための入り口なのだと思います。
小さな視点の変化が、心のマグマを鎮める
不思議なことに、その頃から、嫌いな人の顔がぼやけてきました。
思い出すたびにざわついていた“生身の敵”が、遠くの風景のように、ただの「存在」へと変わっていったのです。
そしてある日、ふと思いました。
「あの人にも、何か辛いことがあったのかもしれないな」
もちろん、不快な態度が許されるわけではありません。
でも、私にも訳もなく苛立つ日があるように、あの人の毎日にも、なにかしらの理由があるのかもしれない。
そう思えただけで、心のマグマの温度が、スッ…と静かに下がっていった気がしました。
嫌いな人の幸せを祈ることは、「自分を楽にすること」
誰かを嫌い続けるのは、想像以上にエネルギーが要ります。
なにより自分がしんどい。
握りしめていた拳を、ほんの少しだけ緩めてみる。
その手の中に、空気が通っていく。
「嫌いな人の幸せを祈ること」は相手のためじゃない。
自分を少しでも楽にしてあげるための、優しい自己防衛策なんです。
🍃 あなたも試してみませんか? 慈悲の瞑想(アレンジ版)
まずは 自分自身へ
「私が幸せでありますように」
「私が健やかでありますように」
次に、大切な人へ
「親しい人が幸せでありますように」
そして、もし心に余裕があれば
「嫌いな人が幸せでありますように」
無理に全部を言わなくていい。
順番を変えても、途中でやめてもいい。
大切なのは、「少しでも心が軽くなること」。
あなたの心のペースに合わせて、はじめてみてください。
💌 最後に
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
もし、あなたの心にほんの少しでも静けさが訪れたなら——
それだけで、この文章がここにある意味があったと思えます。
あなたの今日が、やわらかく、穏やかなものでありますように。