慈悲の瞑想

慈悲の瞑想を行うと様々な良い効果が得られることが科学的にも実証されています。
今回は慈悲の瞑想についてお話します。

慈悲の瞑想とは

慈悲の瞑想は自分と自分以外の生きとし生けるものの幸せを願う瞑想です。
慈悲とは仏教では元々は「慈」と「悲」別々の意味を持つ言葉でした。
「慈」は与楽、「悲」は抜苦を表しています。
与楽は他者の安楽を望む気持ち、抜苦は他者の苦しみを取り除く気持ちのことです。
慈悲の瞑想は生きとし生けるものが幸せであるよう祈る瞑想です。

慈悲の瞑想が効果的な科学的根拠

慈悲の瞑想は「私」から始まり、「私の親しい人」「生きとし生けるもの」と願いの対象が
広がっていきます。
自分以外の生きとし生けるものの幸せを願うことで、
他者への共感性(思い遣り)が増し
感情コントロールが上手くできるようになり
ストレスが軽減されたことがいくつかの研究の結果として報告されています。
継続して慈悲の瞑想を行うと他者への共感や繋がり、思いやりが育まれるのです。
また瞑想中の脳波を測定したところ、瞑想中はリラックスモードであるアルファ波やシータ波が観測されますが、
慈悲の瞑想をしている時にはガンマ波が観測されました。
ガンマ波が出ると記憶力が高まり、集中力が増し、五感がすぐれ、幸福度が増すと言われています。
他の瞑想法では瞑想の熟達者であればガンマ波が出ることがありますが、そこに到達するには修練が必要ですが、
慈悲の瞑想を継続的に行うとガンマ波が出やすくなると言われています。

慈悲の瞑想(全文※一部アレンジ)

私が幸せでありますように
私の悩みや苦しみがなくなりますように
私の願いが叶いますように
私が自由で豊かでありますように(※アレンジ)

私の親しい人が幸せでありますように
私の親しい人の悩みや苦しみがなくなりますように
私の親しい人の願いが叶いますように
私の親しい人が自由で豊かでありますように(※アレンジ)

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩みや苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いが叶いますように
生きとし生けるものが自由で豊かでありますように(※アレンジ)

私の嫌いな人も幸せでありますように
私の嫌いな人の悩みや苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人の願いが叶いますように
私の嫌いな人も自由で豊かでありますように(※アレンジ)

私のことが嫌いな人も幸せでありますように
私のことが嫌いな人の悩みや苦しみがなくなりますように
私のことが嫌いな人の願いが叶いますように
私のことが嫌いな人も自由で豊かでありますように(※アレンジ)

生きとし生けるものが幸せでありますように(※アレンジ)
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

以上が慈悲の瞑想の全文です。
アレンジを加えている箇所は仏教用語が入っていて、言いにくい(宗教に抵抗がある)人も
いるので、かみ砕いて平易な言葉に置き換えています。
特に最後の「自由で豊かで」の文言は自分の好きな言葉で良いと思います。
(本文では悟りの光が現れますように、です。)

私が感じた慈悲の瞑想のハードル
実際に私が慈悲の瞑想を始めて行った時は大変でした(何が?)。
瞑想指導者講座で行ったのですが
「私の嫌いな人」の文言で意識がそちらに引っ張られてしまったのです。
「私の親しい人」の文言では、大切な存在の顔を思い浮かべて唱えていました。
「私の嫌いな人」の文言が出た瞬間「無理、無理、無理~っ」ってなってしまったのです。
その講義の数日前に怒るような出来事があったので、そのことを思い出してしまったのです。
それからは、もう文言が頭に入ってきませんし、勿論、瞑想状態とかガンマ波とかすっ飛んでいました。
私が怒った出来事、そして私を怒らせた人のことがぐるぐる。
その出来事が起きた時、状況を見てその場では私は怒りを表さず、起きた出来事を流していました。
でも感情はふつふつとしていて、私の中では未完了の問題だったのです。
瞑想中は未完了の問題がちょいちょい出てきてしまいますが、
「私の嫌いな人」の文言で「うぉー----」っと。
この現象は私が指導する側になってからも起きています。
クライアントから「最初は気持ち良かったのに、「嫌いな人」って聞いたら集中できなくなりました」
(だよね、だよね、当然だよね)と言うフィードバックはしょっちゅうです。
慈悲の瞑想は他者への共感力が高まりますが、これは文言を唱えながら自然に相手を想う
(相手の顔を思い浮かべている)からではないかと推察しています。
「私の親しい人」「生きとし生けるもの」では私の周りの人達、クライアント、ペット、
と大切な存在へ想いや感謝の気持ちが広がり、胸の奥が温かくなります。

「私の嫌いな人」への対処法
慈悲の瞑想を始めて行う場合は「私」「私の親しい人」「生きとし生けるもの」まででOKです。
まずは慈悲の瞑想に慣れましょう。
穏やかな気持ち、相手や生きとし生けるものの幸せを願う気持ちを高めましょう。
特に疲れている時、気持ちが落ち込むようなことがあった時に行うと、
静かで穏やかな心を取り戻すことができます。
慈悲の瞑想に慣れ、気持ちや体調に余裕があれば「私の嫌いな人」以下の文言にもチャレンジしてみて下さい。
対象物がある人は初めは気持ちが持っていかれるかもしれません。
もし気持ちが持っていかれてしまったり、相手の幸せを願えないと思ったら
「私はあの人のことを思うと気持ちが乱れる、あの人の幸せを願うことができない」
その事実だけをただ認識して下さい。
深堀せず「そうなんだ」と認識するだけでOK。
それを繰り返しましょう。

「私が嫌いな人」を乗り越えた私の現在

「私が嫌いな人」の文言に引っ張られ、感情が乱れまくり、講座中でも先生に質問までした私の現在です。
慈悲の瞑想が好きで毎日、行っていますが、当時は毎日、引っ張られていました。
途中までは良い気持ちなのに、「私の嫌いな人」からは心の中は嵐です(どんだけ引っ張られていたんだか)。
立場的に(指導する側)、自分と向き合うためにも毎日「私の嫌いな人」を唱えていました。
1ヶ月もすると、感情が乱れにくくなってきました。
3ヶ月しないうちに「私の嫌いな人」の文言になっても、感情が乱されず、
私を激怒させた「あの人」のことを思い出すこともなくなりました。
人は慣れる生き物だからなのか、毎日、自分の感情と向き合っているうちに消化されたのか
は定かではありません。
あんなに乱されていたのが、全く乱れなくなった時に
「自分も相手も同じ」
と思えるようになりました。
あの出来事が起きた時、確かに私にとっては嫌なヤツではありましたが、
もしかしたら彼女にも人に八つ当たりしたくなるような何かがあったのかもしれない、
とふと思ったのです。
それ以降は「私」も「私の親しい人」も「私の嫌いな人」も「私のことが嫌いな人」も
皆一緒。つまり「生きとし生けるものは全て同じ」と思えるようになりました。
(また何かに出くわしたら「うぉー--っ」となるとは思います。だって人間だものbyみつお)

慈悲の瞑想を続けることで「自分」と「他者」の垣根がなくなる。
「自分」も「他者」も同じと思えるようになることが様々な良い効果に繋がっているのではないかと思っています。
慈悲の瞑想は決まった文言(マントラ)を唱えるだけなので、文言を覚えてしまえば比較的やりやすい瞑想の一つです。
この記事をご覧になって慈悲の瞑想に興味を持った方は是非、チャレンジしてみて下さい。
そして出来る限り毎日、継続して下さい。
時間がない時は「私」の部分だけでも良いと思います。
無理なく、継続するうちに自分の変化に気付くことができると思います。


Copyright © 2018 Minako Asami.

この投稿をシェアする
  • URLをコピーしました!
目次
閉じる