こんにちは。
パーソナルトレーナーの浅見美菜子です。
私自身の自律神経失調症の闘病記、第7弾。
闘病生活後期、そして寛解への第一歩について書きます。
今までの闘病記はこちらをご覧下さい。
何もしない日々
自律神経失調症の闘病生活が1年を過ぎた頃、大分、体調が安定しているように思えました。
そこでホットヨガに挑戦しました。
元々ヨガに興味があったこと、そしてホットヨガが自律神経を整える効果があるとネットで見たことが決め手でした。
私が通っていたホットヨガは一般のヨガとは違って少し特殊でした。
スタジオの温度、室温の設定は一般的なホットヨガのスタジオと同じですが、指導スタイルが特徴的で、私はそのストイックな雰囲気がとても気に入り、週3回程度、通っていました。
3ヶ月後、新たな講座が開講しました。
勉強の合間にホットヨガに通い、と、今までは勉強をするだけで精一杯でしたが、できることが多くなり、行動範囲が広がったように感じていました。
このまま寛解する日も近いかも。
と、その頃は希望が見えていました。
年が明けた頃から、再び、激しいめまいに悩まされ始めました。
会社員時代に体験した、いつ、どこで起きるかわからない、ふらっとする、一瞬意識が飛んでしまうような、激しいめまいです。
駅のホームを歩いている時、電車が通過すると、その瞬間、めまいがおき、それに巻き込まれそうになったことも1度や2度ではありません。
駅の階段が怖く、エスカレーターを使うようになりました。
それでもふわっとめまいがし、てすりにしがみつくようにして落ちるのを防ぎました。
このままではいつか事故で命を落とすのではないか
はじめて命の危険を感じました。
休むと良くなるのに、何かするとまたはじまる。
やりたいことは山ほどある、一日も早く社会復帰したいから頑張っているのに身体がついてこない。
気持ちは前に前に進みたがっているのに、身体が強制終了してしまう。
そんなジレンマに悩みました。
そしてその時、はじめて全ての判断を主治医に委ねる決意をしました。
様々な民間療法も試してきたけど、1つだけやっていなかったこと。
主治医の言うことを100%聞かなかったこと。
主治医に相談し、ホットヨガを止め、その年の春からスケジュールは白紙、本当に何もしない療養生活がはじまりました。
寛解への第一歩
めまいが酷い時は一日中と言わず、何日もベッドから起き上がれない日が続いていました。
白い天井を眺めながら
なんでこんなことになってしまったんだろ
どうして私がこんな身体になってしまったんだろう
あんなに夢や希望に溢れていたのに、今はそれが見えない
この病気は本当に治るのだろうか
いつ治るんだろう
もしかして、本当はもっと違う病気で死ぬんじゃないか
この生活が何年も続くくらいなら、このまま死んでしまった方がいいのかも
そんなことが頭の中をぐるぐると回っていました。
終わりの見えない闘病生活。
いつも仕事に追われて全力疾走していた私は、何もせず、いつも頭の奥がぼわっともやがかかったような状態で天井を見つめている生活は生きている実感がわきませんでした。
不安
焦り
悔しさ
むなしさ
色々な感情が入り混じっていました。
その中にないのは喜びだけ。
そんな生活が3ヶ月続いた頃、起きられるようになりました。
朝10時頃に起床し、遅いブランチを食べ、本を読んだり、猫と遊んだり。相変わらず頭の奥にはもやがかかったような状態でしたので外出は控え、家でのんびりと過ごしていました。
時折、友達が差し入れを持って遊びに来てくれました。
初夏になる頃には、体調が良い日は散歩もできるようになり、スケジュールが白紙の状態にも慣れてきました。
今までは何も予定がないことが考えられませんでしたが、スケジュールが白紙になってからは毎朝、目覚めると
今日は何をしようかな
と窓の外を眺め、天気を確認するようになりました。
それまで空を眺めることなんてなかったのに、
空が青いな
とか
雲の流れが速いな
とか、空の変化に気づけるようになり、天気や雲について調べたりして楽しんでいました。
料理も作るようになり、フィットネス栄養学で学んだ知識を色々な料理に反映させ、徒歩で行ける近くのお店まで食材を買いに行ったり、メニュー開発をしたりして、少しずつ日常生活の色々なことを楽しめるようになってきました。
こうして振り返ると、仕事一筋だったために、知らなかったこと、知らなかった世界が山ほどあり、その知らなかった世界を楽しむ第一歩になった時期でした。
今まで、あんなに次々に何かをやりたくなったり、見つけるとそれに向かって猛突進していたのに、この頃はそんな風に思うこともありませんでした。
日常の些細なことが楽しく、愛おしく、それが幸せに感じ始めていたのです。
それは私の自律神経にも良い影響を与えたのか、体調が安定してきました。
私のこの変化には主治医も喜んでくれました。
その年の夏、今までと違う体調の変化を感じ始めていました。
闘病生活から丸2年が経っていました。
次回は寛解への転機について書きます。
宜しければご覧下さい。