こんにちは。
パーソナルトレーナーの浅見美菜子です。
今回は私自身の自律神経失調症の闘病記の第四弾。
退社から療養について書きます。
1~3弾まではこちらをご覧下さい。
そして退社
私が自律神経失調症を発症したのは2011年5月でしたが、その時、既に退社することが決まっていました。
それより何年も前からフィットネス業界で働きたいと言う想いがあり、会社の上層部に相談をしていましたが、
人事の責任者を担っていたこともあり遺留され、当時、大きなプロジェクトを任されていたので、私自身も退社のタイミングをつかめないまま数年が過ぎていました。
人が働きやすい環境づくりを志し、自ら志願した人事の仕事は、大変でしたがやり甲斐があり、天職だと言われたこともあります。
人事の仕事に携わる中で、人の心と身体の健康に深く興味を持ち、フィットネス業界への興味も増しましたが、順調にキャリアを重ねていた人事の仕事を辞めなければならない理由はどこにもありませんでした。
「いつかフィットネス業界で働けたら」と想いを抱えたまま数年が過ぎ、東日本大震災が起きました。
あの震災で価値観が変わった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
一瞬にして全てが失われてしまう。
被災地の映像を目にしながら涙が止まりませんでした。
当時、私はその年に迎い入れる新卒の従業員の研修の準備に追われていました。
震災が起きたのは金曜日、その翌週から新卒の合宿研修が予定されていました。
インフラも不安定でしたので連絡もなかなかつかない。
やっと連絡がつき、全員の無事を確認。
同時進行で、既存の従業員のサポート、そして店舗運営の対応、などなど。
怒涛のように仕事も押し寄せてきます。
それも今まで経験したことがない類の仕事。
そんな日々が一段落した頃、ふっと
いつかやりたいことがあるなら、今しかできない
と感じたのです。
いつかフィットネス業界に
と思っていても、そのいつかは私に来ないかもしれない。
そして、強い意志を持って上層部に退社の意向を伝えました。
私の退社は一部、保留のまま、ですが、自ら退社スケジュールを組み立て、進めていました。
5月の朝、めまいで起き上がれなかった時は
退社も決まり、新卒採用も一段落し、疲れが出ただけ
と思いました。
その後、医療機関を受診し
過労による自律神経失調症
と診断を受けましたが、引継ぎ終了から退社まで有給消化期間が2ヶ月あり、更に秋からパーソナルトレーナーになるための専門学校に入学するまでの約3ヶ月間、のんびりしていれば治るだろうとたかをくくっていたのです。
病院で処方された薬は効いているのか、効いていないのか。
何とか朝、起きられる日もあれば、身体が動かない日もあり、這うようにして出勤していました。
その頃になると、めまいがいつ起きるのか予測不能で、駅の階段を昇っている時に、突然ふらっとして、そのまま階段から落ちたことも1度や2度ではありません。
当時の私は全身、痣だらけでした。
頭や致命傷になるところを打たなかっただけラッキーでしたが、背中、腰、膝、脛には新旧赤、青、紫の痣が出来ていて、その痣を見た友達に悲鳴を上げられたほどです。
どうにか引継ぎを終え、6月末に最終出社日を迎えました。
療養へ
毎朝の出社しなければならない、と言うプレッシャーから解放されたことで心からホッとしました。
とにかく朝、起きられるのか
毎朝、目が覚めるのが恐怖でした。
どんなに辛くても時間が来たらベッドから起き上がらなくてはならなかったのが、もう好きなだけ休んでいられます。
出社しなくてよくなってからも、相変わらず目覚めるとめまいがしましたが、そのまま眠れることで、気持ち的にはかなり楽になりました。
断続的に目が覚め、身体を起こそうとし、めまいがして、再び横になり、いつの間にか眠る。
その当時は寝ても寝ても、いくらでも眠れていました。
そんなことを数回繰り返して、どうにか身体を起こせたのはお昼を過ぎてから。
軽く食事を摂って、疲れたらまた寝る。
人っていくらでも寝ることができるだな~と、その時は感じていました。
眠いというよりはとにかく怠かったのです。
ずっと仕事に追われ、休みらしい休みを取ったことがなかったので、何も予定がない、何もすることがない時間はなんだか不思議でした。
家で休んでいても、変わらずめまいはします。
急にめまいがして家の廊下で倒れたり、部屋の扉に頭を打ったり。
起きられる時にネットで自律神経失調症について調べました。
当時は今よりも情報が少なかったのですが、それでも、こんなに酷いものなのか、疑問に感じていました。
症状は個人差があるようです。
寝たきりになり家から一歩も出られない人もいれば、日常生活は送れるけど、何となく身体に不調がある人まで。
この得体の知れない病気はなんなんだろう。
でも、主治医は過労による自律神経失調症だから仕事を休めば落ち着くと言っていたので、もう少し様子をみることにしました。
次回はパーソナルトレーナーの専門学校時代について書きます。
宜しければご覧下さい。